「整体操法読本 巻一」を読む その1
現在一般に入手できる野口晴哉氏の著作に中に、整体操法に関しての具体的な記述というものは案外少ない。また、整体操法がどのような経緯で成立したのかといったことも、ほとんど語られていない。
しかし、すでに絶版になっているが、かつて創始者野口晴哉氏によって整体操法そのものについて書かれたものがあった。その名も、『 整體操法讀本 』(整體操法協會刊)である。(以下 整体操法読本と表記)
野口晴哉著 『 整体操法読本 巻一 』 は、昭和22年4月25日に整体操法協会から発行されている。
その第一章 「整体操法とは何か」 の第一項 「本能の医術」 は、次のような文章から始まる。
“ 整体操法とは手で体の不整を整へる技術であります。手で体を整へるといふことは人間は昔から行つていたのであります。
私たちが腹が痛いと思はず腹を抑へ、頭が重ければ頭を揉む。さういふ習慣は欧米の人にも東洋の人にも山の中の人にも海の島にいる人にもあるのであります。
そしてかうしたことは考へて行ふので無く、思はず行つているのでありますから、人間の体の裡にさういう能力が在つたのでは無いかと考へられるのであります。
人間の本能の裡に手で体を整へるはたらきが在るとしたら、転んだ子の打った処を思はず押へたり、苦しんでいる人の背を撫で擦つてやつたりする行為が、弱い者に対する自然の情によつて喚びおこされて行はれたといふことも想像出来ることであります。
それ故手で体を整へるといふことは昔々から存在していたのでありまして、誰が発明したとか、発見したとかいふもので無く、吾々自身の生命の裡に存していた本能の医術であります ”
野口氏は、第二項 「治療行為の歴史」 では、本能的に手で叩くとか、揉むとか、押さえるとかいうことが、今の私たちがあくびやくしゃみをするように、考えないうちに反射的に行われていたであろうと推測し、更にそのこと自体が体を整えるということさえ知らず考えずに行われていただろうという。
しかし治療行為の歴史は、体の要求によりおこなわれる本能的な行為から、徐々に頭で考えておこなう治療へと進んでいった。
野口氏は、本能による医術と頭で考えて作られた医術とは、その出発点が違うのであるから、その目的も結果も当然異なるという。
本能的に行われる行為は、自分に対しても他者に対して行われる場合も、その体の裡にある体の平衡を保とうとする欲求によって、体そのものを整えようとして、体の治ろうとする力を呼び起こすべく行われる。
それに対して頭で考えた医学は、いろいろの病症の不快や苦痛を取り除くために、外から力を加えることによっておこなわれる。
内の働きを揺すぶり起こすのと、外からとりあえず苦痛を取り去ってしまおうとするのでは、その行為の結果、体のあり方に違いが生じてくるのは当然の帰着であろう。
体は、自らの自然治癒力によって病気や故障を乗り越えれば強くなっていくし、反対に必要以上に庇われれば、だんだんと力を発揮できなくなり弱くなる。
そして、庇うほどに体の自然な回復欲求は鈍麻して、ますますどうすれば苦痛がなくなるのかと頭で考えるようになる。
かくして、
“ 今日におきましては自分が健康であるか病気であるか、自分以外の他人の診断をまたねば、又機械による検査をまたねば判らなくなつてしまつたのであります。
活き活き元気であることより、病気がなければそれが健康であるやうに考へやうになり、治療行為といふことが、ただ病気を速く(ママ)治すことのみを目的として行はれるやうになつてしまつたのであります。
しかし病気はないが元気がない、苦痛はないが働くとすぐ疲れ、眠れば夢見、覚めれば可しと可からずに包まれて焦ら焦らくらしている人ばかりが増えたのでは、いつも怠けたい人が腹を立ててばかりいるやうになつて、人間は生きていることの欣びを感じないうちに死んでしまうやうになつてしまひます。
働きたい要求で働き、食べたい要求で食べ、眠りたい要求で眠る人が日にすくなくなつて、皆時計と睨み合つて、その針によつて働き食べ眠らないと不安になつて、いつしか裡の要求を忘れてしまつたのでありませう。
こういふ世の中に本能の医術を普及して人間の生命についての本能的な感覚を鋭敏にし、活き活きした生くる欣びを皆で感じられるやうにしたい為、手で体を整へるはたらきを人間に取り戻す方法として整体操法を組織したのであります。 ”
人間には、手を用いて体の働きを整える本能的な力がある。頭で考えて行う治療行為から、その本能の医術に立ち返るべく、整体操法は組織されたのだ。
※ 当ブログの「整体操法読本 巻一を読む」のカテゴリーでは、特別に注意書きがない限り引用(“ ”内太字)は全て『 整體操法讀本 』(整體操法協會刊)からのものになります。なお、ページ数などは省略しております。