野口整体 白山治療院
東京都文京区向丘2-37-3石橋ビル5階
野口整体 白山治療院 > 整体を希望される方へ

整体を希望される方へ

 

白山治療院の整体

 
白山治療院では、「健康に、元気に、愉しく、いきいきと生活できる心と体」 をつくることを目的として整体(身体調整・健康指導)をおこなっています。
 
人間には本来、自分の健康は自分の体の力で保っていく働きが備わっています。整体の目的は、体が自然を取り戻して、自らの力で健康を維持していけるように体を整えていくことです。
 
病気になったら薬や手術で治すことを考える人は多いと思います。しかし、薬や手術で症状をなくしても、それを通して病気になる前よりも、さらに健康になるということは望めません。それどころか、たえず外から庇い、過剰に人為的な干渉をしすぎると、だんだんと自然治癒力・生命力を発揮できない体になってしまいます。しかし、体を整えつつ、病気を自分の体の力で乗り越えると、潜在体力が発揮され、病気をする前よりも生命力が旺盛になり、丈夫に、健康になることができます。
 
白山治療院の目指す整体は、体の元気を呼び起こし、自分の力で病気を乗り越えて、病気に負けない体・病気が要らない体をつくる、そういう整体です。整体は、病気・症状に対しておこなうものではなく、その人の体が本来のあるべき姿を取り戻していくように、体のあり方を変えていくものです。

 

 

体そのもののあり方を変える

 

普通、整体というと、「痛みや、病気を治すもの」 と考えられています。しかし、健康ということを考えた場合ただ痛みや病気をなくせばいいかというと、必ずしもそうとはいえません。それは、どういうことかというと、痛みや病気にも、それなりの意味があるからです。

 
もしも、けがをしたり体の内部に異常が起こったときに、痛みや違和感を感じなかったり、病気の症状が全く出なかったらどうなるでしょうか。体に異常が生じていることに気づかずに、傷や病気を悪化させてしまうかもしれません。
また、病気は生活の赤信号ともいえます。病気になるということは、生活の中に体を壊す原因があるか、体の使い方、心の使い方に問題があるということも考えられます。そうであれば、治療と同時に、生活の改善が必要になります。痛みや病気などの症状が出ているときは、自分の体と、そして心と向き合う好機であるともいえます。

 
また、痛みや不快な症状、違和感などがあるということは、体が異常を異常と感じ取っていることを示しています。そして、体というのは、痛みや異常感を感じることで、治癒力が働くようにできています。ですから、痛みを感じたり、いろいろと不快な症状が出ることこと自体は悪いことではなく、自然な体の働きであるといえます。
 
痛みやいろいろな症状自体が悪いわけではありません。症状が現れるような体のあり方に問題があるわけです。健康ということを考えるときには、「痛みなどの症状・病気」 と、それを起こしている 「体の不自然さ」 を分けて考える必要があると思います。
 
痛みや病気の元となる根本的な「体の異常=不自然」 は、個々人で異なります。背骨や骨盤などの骨格の歪み、筋肉の萎縮や硬直・弛緩、感覚器系の過敏・鈍麻、内臓を含めた身体各部の働きの低下・停滞や不調和、発育不全などさまざまです。いずれにしても、それによって生命現象が円滑さを失い、その結果として痛みや病気などの症状が現れてきます。
 
ここで治すべきところは体自体の不自然であり、正すべきは体そのもののあり方です。病気や痛みの元になっている体自体の不自然な状態を改善しないで、表面に現れている症状だけをなくしてしまおうとしても、根本的な解決にはなりませんし、それで健康になることもありません。それどころか、体の異常(不自然)を改善しないで病気や症状を押さえ込むと、異常は深く潜行して、もっと大きな異常に育ってしまうこともあります。
 
白山治療院でおこなっている整体は、痛みがあってもなくても、病気があってもなくても、その 「生命の働き」 を十全に発揮し、より健康に、より元気に快適に生活できるよう体を整えていくことに主眼をおいています。
 
治療において症状を改善することは当然ですが、痛みや痺れなどの苦痛な症状・病気などは、そもそも体に不自然な状態があるために起こっているものですから、体が自然な状態を取り戻していくと、その過程で自ずとなくなってしまうものです。そして、そのようになされた治癒こそが、最も自然で無理のない治癒であると考えています。

 

 

健康と無病は違う

 
体の働きに不具合が生じ、生命活動が円滑にいかなくなっても、全く痛みも不快も感じない人もいます。こういう体の鈍った状態は、ある意味最も健康から遠い状態であり、同時にとても危険な状態であるといえます。
 
「今まで風邪一つ引かない丈夫で健康だった人」 が急にばったりと倒れた、などという話は良く聞く話です。しかし、「風邪一つ引かない丈夫で健康な人」 なんて、果たして存在するのでしょうか?
 
健康な体の状態というのは、静止した動きのない状態ではありません。 外界の変化や体の内部環境の変化に対応し、いつでもダイナミックに変化・ 適応できる状態です。人間の体も、たえず変化する 「自然」 の一部です。健康な体には、自然の 「ゆらぎ」 があります。「やじろべえ」 のように、ゆらりゆらりと絶えず動きのある状態です。「やじろべえ」 は、いくらあちらこちらに傾いても倒れることはなく、常に中心に戻ろうとする力があります。その中心に戻ろうとする力があることこそが、体が健康であるということです。けっして、変化しないこと、傾かないことが良いのではありません。
 
全く変化しない体 ・・・ 何年もまったく風邪を引かない、熱も出ない、滅多に下痢をすることもない、一見悪い変化もなく、安全無事に見える体は、丈夫に見えて実は鈍い体であることが多いのです。一見しっかりしているように見えますが、枯れ木と同じで、ある程度以上の力には抵抗できずに折れてしまう体です。 生命力のある健康な体は、風邪を引いたり、下痢をしたりと変動はあっても、柳のように強い風に大きくしなっても折れることがなく、風が収まれば何事もなかったように元に戻る体です。
 
急にばったりと倒れたり、突然大病をしたりする人は、丈夫そうに見えていても、それまで異常が表に出なかったというだけで、決して健康だったわけではありません。体の中で少しずつ進んでいる異常を感じ取ることができない、体の鈍い人だったのです。
 
健康であれば 「無病」 であることが多いですが、「無病」 であるから健康だとは限りません。極言すれば、病気があっても健康な人もいるし、病気も痛みもなくても不健康な人もいるのです。体が整った状態、つまり 「整体」 であることは、「健康」 であることと同義ですが、いわゆる 「無病」 であることとは違います。

 

 

健康と心と体

 
白山治療院の整体の目的は、健康に、いきいきと生活できる 「心と体」 をつくることです。「整体だから、『体』 はわかるけど、『心』の方 は、どうするのだろう」 と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
 
しかし、人間は本来、全体で一つの生命です。その一つの生命の2つの側面をそれぞれ 「心」 と 「体」 と呼んでいるに過ぎません。そして、心と体を分けて治療しようと考える方が、かえって不自然です。
 
たとえば、顔の表情というのは、心の動きでしょうか、体の動きでしょうか。顔の表情筋の変化は体の動きには違いありませんが、そこに表れているものは心の状態です。顔の表情を見て、その人が喜んでいるのと悲しんでいるのを間違える人はいないと思います。怒ったために呼吸が乱れるのも、悲しいときに涙が出るのも、体の変化ではありますが、同時に心の変化ともとらえられます。生きている人間の活動を、心と体とに厳密に分けることはできません。
 
顔の表情を例にとりましたが、表情というのは顔だけでなく体中にあります。元気があるときは、誰でも胸を張っているものです。ガッカリすると、悄然と肩を落とし、背中もさびしげに見えます。
 
心と体は絶えず一緒に動いています。 緊張すれば汗をかき、恥ずかしければ顔が赤くなり、びっくりすれば体が硬直します。「腹が立つ」 といいますが、誰でも怒ると腹直筋というお腹の筋肉が硬くなります。逆に、いつもお腹が硬い人は、ちょっとしたことでもイライラし、怒りやすくなっています。頚(くび)が硬い人は、考え方にも柔軟性がなくなり、視野が狭くなり、発想の転換がきかなくなります。 また、腰が捻れただけでも、わけもなく強情を張ってしまったりします。
 
体がゆがむと、心もゆがみやすいものです。心の姿勢がゆがむのです。イライラや短気、頑固や強情、面倒くさがりや無気力、心配性やおっちょこちょいなど、心の問題や性格だと思われていたものも、体が整うとなくなってしまうものが結構あります。
 
また、体を壊す人の多くには、共通したある種の心の動きがあります。それは、恨みやねたみ、嫉妬であったり、虚栄心や自意識過剰であったり、いろいろです。ともかく、自分でもどうにもできない、そういう歪んだ心の働きが、ガンをはじめとする多くの慢性病の根っこに潜んでいます。自分の心が、自分の体を苛んでいるのです。
 
しかし、そういう感情や心の動き、またはコンプレックスなどは、体を整えていくと、いつの間にか薄れてしまったり、なくなってしまったりすることがよくあります。そういう心のあり方自体が、体の歪み・不調和の産物だったのでしょう。
 
整体で 「体を整える」 ということは、骨格や筋肉のような 「もの」 だけを対象におこなうわけではありません。 整体は 「もの」 としての人間ではなく、生命も心も働いている 「生きている人間」 「生きている体」 に対して働きかけるものです。
 
整体が、一般の物理療法としての手技治療と最も違っていることは、そこに 「気」 が介在しているということです。 「気」 というのは、生命そのものの働きです。 「気の集中・感応」 というものが治療の根底にあるために、生命そのもの、つまり心と体の両面に働きかける力を持っているのです。
 
健康であるためには、やはり健康な心の使い方、心のありようというものがあります。体が快適になると、心も軽くなります。体が整うと、自ずと正される心の姿勢があります。体が整うと共に自然と心のあり方が変わっていくという体験を通して、健康な心の使い方・あり方について考えてみていただけたらと思います。

 

 

治療の反応について

 
整体操法によって体が整い、「健康体」 ・ 「自然体」 になっていく過程で、いろいろと体に変動が起こることがあります。それを「反応」と呼んでいます。反応には、大きく分けて、三つの段階があります。

 

  1. 弛緩反応「弛緩反応」 というのは、治療を受け始めた初期にでることが多く、体の硬直が弛むために、体がだるくなったり眠くなったりします。中には、起きていられないほどの眠気に襲われるなどという人もいますが、弛緩反応はおおむね気持ちのよいものです。
  2. 過敏反応「過敏反応」 が生じると、治りきらずに固まってしまっていた古い故障などが、一時的に痛み出したりすることがあります。一見症状が悪化したように感じるかもしれませんが、感覚の鈍り(麻痺)が解消してくる過程で、一時的に過敏な状態を経過することが必要な場合もあるのです。過敏反応器には、ゾクゾクと寒気がしたり、発熱したりと、急性病的な症状を呈する場合もあります。
  3. 排泄反応「排泄反応」 は、弛緩反応・過敏反応を経過したあとに起こる反応です。体のあらゆる排泄機能が高まり、今までため込んでいた毒素などの排泄が始まります。排泄反応期に入ると、下痢をしたり、色の濃い小便が出たり、大量の汗をかいたりと、ともかく体の大掃除がおこなわれます。ときには、鼻血が出たり、じんましんや湿疹など皮膚からの排泄が起こることもあります。過敏反応から排泄反応に移行するときに、発熱することもあります。

 

反応の起こっている期間は、なるべく体を休めて冷やさないように気をつけます。また、反応が終わったあとは、ゆっくりと休養することが必要です。

 

整体操法を受ける方すべてが、大きな反応が出るわけではありません。 もちろん、あまり体に変動を起こさずに、すらすらと体が変わっていく人もたくさんいます。しかし、人によっては、いろいろな治療の反応を通過していくことが、古い体を脱ぎ捨てて、新しい体に生まれ変わるために、どうしても必要な場合があります。
 
一時的に、かえって痛みが増えることもありますし、今まで痛くなかったところが痛くなったりもします。発熱したり、下痢をしたり、場合によっては鼻血が出たりすることもあります。そして、ときには反応が長く続くこともあります。
 
はじめに 「反応がでるかもしれません」 といわれていて、一応の覚悟が決まっていた人でも、いざあちこち痛くなってきたり、発熱したりすると、急に不安になり覚悟もゆらいでしまいがちです。しかし、反応の激しさは、治る力の勢いを示します。そして、長く続くようであれば、それだけ体が悪かったということです。反応は、今まで異常だったところが回復しようとしている自律の働きであり、体が新しく調和をとろうとしている姿です。
 
心が動揺すると、体の自然な変化の経過を乱してしまいます。そんなときは、まずはゆったりと深い息をしてみて下さい。そして、自分の体を信頼し、心静かに反応期を乗り切っていっていただきたいと思います。
 
「無病息災」 とはいいますが、体の働きが鈍麻して、生命の勢いもなくなって、ただただ無病なだけの 「無病病」 とでもいうべき不健康 ・ 不健全な体で生活するより、大掃除をやりとげて、すっきり、さっぱりとした快適な健康体になる方が、ずっと良いことだと思います。

 

 

自然の時間 ・ 体を育てるということ

 
長く続く痛みを持つ人や慢性病を持つ人は、病気に対する不安のために、一刻も早く治したいという、焦りの気持ちが生じやすいものです。しかし、体の異常というものは、早く治るのがいいとは限りません。
 
もちろん遅いのがいいというわけではありません。 体は、自然な早さで治るのが一番良いのです。人間の体も自然の一部です。体が良くなっていくためには、必要な自然の時間があります。 子供をいくら急がせても、すぐには大人にならないのと同じで、体の変化には体にとって必要な自然な速度があるのです。
 
一般には、「よく効く薬」、「すぐ効く薬」、というものが重宝がられていますが、整体では、その人の体の力が働いて、自然の速度で治っていくことが、無理のない一番自然な治癒のあり方であると考えます。
 
健康というのは、生命活動が円滑であることの表現です。健康であるためには、生命力・体力を高め、全体として調和を保つように体を整えていくこと、そして、自分の体の力で健康を保つことができるように体を育てていくことが大切だと考えています。
 
体を育てるという考え方は、子供にだけ必要なものではないと思います。成長し大人になっても、またいくつになっても、体というものは変化していくものです。いい加減に扱い、使うだけ使って放っておいたら壊れてしまいます。しかし、上手に使って、上手に休めれば、体はどんどん丈夫になっていきます。

 

白山治療院では、人間にとって何よりも大切なことは、「健康で、いきいきと、愉しく生きる」 ということであると考えています。 それが、人間の本来の姿であると思うからです。
 
整体とは、生命に対しておこなわれる行為です。 生命への礼として、お互い真摯に取り組みたいものです。
 
 


白山治療院  指田 太志