野口整体 白山治療院
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「整體操法讀本 巻一」を読む その3

 
整体操法読本 巻一では、手による治療術の歴史と整体操法が制定されるに至った背景としての当時の手技療術界の状況が野口氏の手によって詳しく描かれている。
「治療行為の歴史」、「手技療術の沿革」、「日本における手技療術の沿革」に、全編98ページ(実質94ページ)の中20ページほど割かれている。
 
整体操法が成立した当時の療術界は、外来の治療術の影響を受け、様々な手技療法が林立していたようである。
 

“ メスメルがアニマルマグネチズムを主張して以来、之に就いての議論が繰り返へされ、キロが催眠状態を発見して以来催眠術による変態心理の研究熱は全世界を風靡し、我国にも伝はつていろいろの心理療術を産んだのでありますが、そのアニマルマグネチズムは印度流のプラーナ説と結びついて我が国に於ける霊気療術を数多く産み、パーマーのカイロープラクテイツク、スチルのオステオパシーの伝来とおもに之に結びついて、日本に於ける独特の手技療術の或る面を開拓したのであります。
按摩導引の古来の手技整体の法と之に結びついて日本的なものと化し、之が又分離して近頃の手技療術になつたのであります。
それゆえ日本の手技療術は、漢方型、米国型、印度型と古来の苦手型の混同したものでありまして、そのしたに催眠術的な心理療法があるので、一寸他国に無い形になつているのであります ”

 
苦手型、とあるのは、少彦名命の苦手のことで、日本古来の手による療術を記紀神話の医薬の神である少彦名にちなんでこう呼んだのであろう。少彦名の御手は苦手と呼ばれ、一撫でするだけで病疾が退散したと言われている。
 
その一方で、カイロはカイロ、オステはオステとして純粋な形を保ったまま存在していたし、スポンディロセラピー、また古風なプラーナ療法の原型も保たれていたようで、何々式指圧療法の数だけでも両手の指に余る程てあったらしい。
 
野口氏は、それらの大多数が頭で考えた理論によって生み出された 「頭の医術」 であるといっている。
しかし、猫も杓子もカタカナ語を使って理論を振りかざす中、日本人の鋭敏な指先の感覚によって、理論によらず勘を中心においていた人たちも少なからずいて、理論以前の野性的な面が多分に残っているとも言いう。
 

“ 人体調整に解剖学的構造の一部を中心と認め、その部の調整が全体を自ら正しくするといふ考へ方の手技療術は吾が国に於いては甚多く、斎藤虎太郎氏の生理的療法は腰部の或一点を人体の中心と見、その部の異常を除けば万病自ずから無しと主張し、永松卯造氏の操法に於いては腹部の或る一点に治療の中心を見出し、万病はその一点の操法で治ると称し、野中豪作氏は腹部外側の線を健康線として、そこに異常が無ければ健康であると説いておりますが、或る人は頭部に、又或る人は四肢に、又或る人は胸部に、宮廻清二氏の如きは尾呂骨の異常を整へれば胸郭を広げ得ると申しております。”

 
野口氏は、解剖学的な知識にとらわれず身体のある部分に対する働きかけで身体全体を整える操法を、人体を機械仕掛けとみる身体観から脱して、生きた人間の生きた働きをみる身体観へ移る第一歩であると記している。
 
ちなみに、上記引用文中にある、永松卯造、野中豪作、宮廻清二の諸氏は、整体操法制定委員に名を連ねている。
 
さて、話はいよいよ 「整体操法制定の制定」 に入る。
 

“ 人間が本当に丈夫であるにはその人自身の体のはたらきで活き活き生くることでありまして、護り庇つて無事であっても人間が丈夫であるとは申せません ”

 
野口氏は、人間を本当に丈夫にするためには、本人の体の働きでその体の違和、不整を整えることが大切で、他動的な力を多く用いることを戒めている。
早く病気を治したり、苦痛を鮮やかに消失させたりすることを第一義とする技術は、本来体力が発揚されたために生じている発熱や下痢にまで怯えて、それらの症状をただただ早く無くしたいという人々に迎合して行われる技術で、人間を丈夫にしていくという観点からは間違っているのだと述べている。
 

“ いつの世の中でも悪いものは良いものを蔽ひ、雑草ははびこつて良種は伸びないのでありますが、人間を真に丈夫ならしめる為の技術はそのまま放置しておく訳には参りません。手技療術を自然の本道に立ち戻しより向上させ、人間を丈夫にする為に役立てねばならないと考へて、東京治療師会の手技療術を行ふ人々に計つて一には今の世人の要求に添ふより人間が丈夫になつてゆく正しい道を拓く為、一にはその技術を交流してその研究を大ぜいの人で行つて確め真に良き技術にする為、現代行はるる手技療術を一個のものとなす可く、その標準型を制定したのであります。之が整体操法であります ”

 
整体操法委員会は、昭和18年12月に設立され、19年7月まで毎夜の論議を経てその基本型を制定し、同月の東京療術師会役員会に発表され、東京療術師会手技療術の標準型となったという。
 
その第一回の制定委員会の委員の顔ぶれは以下の通り。
 

“尚第一回の整体操法制定委員会は、 野口晴哉(精神療法)を委員長として、次の十三名の委員によつて構成されていました。梶間良太郎(脊髄反射療法)、山田信一(オステオパシー)、松本茂(カイロープラクテイック)、佐々木光堂(スポンデラテラピー)、松野恵造(血液循環療法)、林芳樹(健体術)、伊藤緑光(カイロープラクテイック)、宮廻清二(指圧末梢療法)、柴田和通(手足根本療法)、山上恵也(カイロープラクテイック)、小川平五郎(オステオパシー)、野中豪作(アソカ療法)、山下祐利(紅療法)、その他に美濟津貴也(圧迫療法)外三、四名の臨時委員が加はりました ”