野口整体 白山治療院
東京都文京区向丘2-37-3石橋ビル5階

愉気法

 

愉気法とは

野口整体の根本には、「愉気(ゆき)」があります。「愉気」というのは、「気」を集注することによって、体の中の働きを高め、元気を呼び覚ます方法です。
 
日本語には、「気」 に関係する言葉がたくさんあります。 「元気」 「陽気」「本気」 「根気」 「病気」 「のん気」 「やる気」 「気遣い」 「気働き」「気が乗る」 「気が抜ける」 「気が散る」 「気のせい」 等々。 みんな、心や体の働きや状態を表した言葉です。「穢れ(けがれ)」 は、「気枯れ」ですし、「腐る」 は、「気去る」 です。
 
日本語の中にこれだけ 「気」 という言葉があるということは、昔から日本人は、「気」というもの働きを生活の中に、つまり生きているということの中に実感を持ってとらえていたということです。
 
「気」 というのは不思議なものです。 「やる気」 のないことを嫌々やるときは、体の力も発揮されず、すぐに疲れます。 しかし、自発的に 「やる気」 があることは疲れませんし、体も軽く動きます。 たとえば、仕事の営業で歩くのは疲れるのに、ゴルフで歩くのは爽快で疲れない。頼まれた買い物ではくたびれるのに、欲しい物を買いに出るのは体も軽く疲れないものです。
 
「その気」 になって行動するのと、嫌々やるのでは、結果が違います。 では、「気」 は心の問題なのかというと、そうともいいきれません。 なぜなら、「その気」 になること自体が 「心」 (意志) ではコントロールしにくいからです。 「やらなくてはいけない」 と 「心」 ではわかっていることも、「気」 がのるかどうかは別の問題です。
 
そして、「やる気」 も 「根気」も、体調に関係しますが、もちろん 「体」だけの問題でもありません。 「気」 というのは、「心」 と 「体」 の両面と深く関わりながら、その両方を支え、それらをつなぐ、生命の根本のエネルギーです。
 

心と体と気

「気」 というものは、人間がまだ 「心」 も 「体」 もできあがってないときから存在しています。 新しい生命の誕生が受精の瞬間だとすると、人間はまだ脳も心臓も手も足もないときから生きています。 その生命の力が一個の受精卵を発達させ、人間を形作っていきます。この、まだ 「心」 も 「体」 も分化していない状態から働き続けている生命そのものの働き、生命そのものの力を、「気」とよんでいるのです。
 
そして、「気」 は生きている限り働き続けます。その、生きる力=「気」 に働きかけ、停滞しいるその力を奮い起こさせようとするのが 「愉気法」 です。
 
人と人との関係には必ず気の交流があります。 たとえば、誰かに話しかけるときには自分の「気」 は相手に集まっています。 そして、それに対して相手の 「気」 がこちらに向いて会話が始まります。 ここには 「気」 の交流が行われています。 つまり、お互いの 「気」 が同調することで人間の関係というのは成り立っているわけです。
 
「気」 の同調といいますか、「気」 の交流といいますか、そういうものが人と人との交流、人間関係の根底にあるのです。ですから、治療において相手の体の働きを活発にしていこう、悪いところを良くしていこうと働きかけるのでも同じです。そこには 「気」 の交流、「気」 の集注がなくてはいけません。
 

愉気と潜在体力

愉気というのは「気」を集注する(集め注ぐ)ことです。 簡単に言えば、一点に注意を集めるということです。 手指を当てて、そこから 「気」 を集注していきます。 昔から治療のことを手当といいますが、誰でも痛いところや苦しいところには自然に手がいくものです。体の悪いところに手を当てるということは本能的な行為であり、治療の原点といえるでしょう。
 
「気」 を集注するということは普通考えられているよりずっと相手を変える力があります。穏やかな日の光でもレンズで集めることで物を燃やす力を持つように、「気」も集注するすることで体を変える力を持ちます。
 
愉気には、人間に眠っている潜在体力を呼び覚ます力があります。 人間の体の中には、普通では信じられないような力が眠っています。私は、大きな怪我をおった人や命に関わる重病といわれた人が、奇跡のような回復力、治癒力を発揮したのを何度もみています。 それはみな、その人の中に眠っている潜在的な体力が発揮された例です。
 
人間の持つ治癒力 ・ 回復力というのは、本来ものすごいものなのです。 病気を抱えていつまでも治らない人は、心の動きにつっかえがあるか、体の機能のつっかえがあるために、その潜在体力が働かない状態にあるのです。
 
愉気は、その潜在体力を呼び起こし活性化させる最もすぐれた方法の一つです。整体で奇跡的な治癒が起こるのは、みなこの潜在体力が発揮されたことによるものです。
 

愉気と感受性

人の体は、くり返し愉気を受けていると、「気」 に対する感受性が高まっていきます。 普通人間の体は、くり返される外界の刺激に対してはだんだん鈍くなっていくものです。 それは、適応といって、刺激に対する体の防衛反応です。 ですから、指圧でも薬でも、だんだん強く、または多くしないと効かなくなっていきます。
 
しかし愉気だけはすればするほど、受ければ受けるほど敏感になっていくのです。これは愉気が人間にとって自然な、本能的な治療法であるからだと思います。
 

愉気は誰にでもできる

愉気は、難しく考えなくてもよいことです。普段から、誰でも自然にやっていることですから。お腹が痛いときに無意識にお腹に手を当てるのも愉気ですし、お母さんが子供の傷口をフーフーと吹くのも愉気なのです。そこに注意を集めること、「気」 が集注することが愉気です。そして、「気」が集注すると、その部分の体の働きが高まってきます。
 
愉気は、長い時間行うことがよいわけではありません。 時間の長さよりも、集注の密度が大切です。集注の密度が高ければ、10分の愉気より、10秒の愉気の方が効果があることもあります。といっても、気負ったり、力んだりしてはいけません。愉気における集注とは、雑念のない澄んだ心の集注です。
 
こういうと難しく聞こえますが、要はただ他のことを考えず、手を当てているところに注意を向けて、ゆったり静かに呼吸すればよいのです。手のぬくもりを、相手に伝えていくようなつもりでおこなえばよいと思います。
 
整体において、愉気はもともと、気を輸るという意味で、「輸気」 と書いていました。しかし、雑念や心配の気持ちを気に乗せておくっても仕方がない。澄んだ、明るく、愉しい気を伝えていこうということで、「愉気」 と改められました。
 
愉気とは人間の気が感応し合うということを利用して、お互いの体の働きを活発にする方法です。そして日常、本能的に誰でもおこなっているものです。 難しく考えず、構えずに、気楽にやってみましょう。
 
「愉気法」 に関しては、「整体入門」(野口晴哉著 ちくま文庫) に詳しく解説されています。
 
 
 <関連記事>

 ・合掌行気法(ブログ白山治療院通信)
 ・掌心発現(ブログ白山治療院通信)