春の変化と花粉症 1
春というのは、寒い冬からだんだん暖かになり、何となく気分もうきうきとして、多くの人が、その訪れを心待ちにしている季節です。しかし、毎年春がくるのを、うっとうしく思っている人達がいます。 一般に “花粉症” と呼ばれている症状を起こす人達です。
花粉症は、杉の花粉などが原因で起こる、アレルギー(抗原抗体反応による過敏症)であるといわれています。現代医学的には、杉花粉などが抗原となり、それに対して抗体が過剰に反応するために、鼻粘膜などに炎症や過敏反応が起きると説明されています。
もちろん、そういう反応が細胞レベルで起こっていることは間違いのない事実ではありますが、私は、それが 『花粉症と呼ばれる一連の症状』 のすべてを説明しているとは考えていません。 なぜかというと、体質として杉花粉に対してアレルギーを持っている人が、みな花粉症様の症状を起こすわけではないからです。
では、どういう人が花粉症様の症状を起こすかというと、冬の体から春の体にスムーズに変わることのできない人です。
「季節の変化と身体の変化」
人間の体は、一年中同じではありません。 野ウサギやライチョウが夏は茶色く冬は白くなるように、人間の体も季節にあわせて変化しています。日本は四季がはっきりしていますが、体の変化という観点から見ると初夏から梅雨を一つの季節と考えて五季と考えた方が実際的です。 おおざっぱにいって人間の体は、春 ・ 梅雨 ・ 夏 ・秋 ・ 冬の五季に合わせて変化しています。
( 二十四節季のように、もっと細かく分けることもできますが、とりあえずは五季でよいと思います)
冬の体というのは、寒さに耐えるよう引き締まって固まっています。 また、冬は体を休養させエネルギーを蓄える時期でもあります。体が守りに入り休養する冬という季節は、その分エネルギーが頭に向かい、知的活動にむいた頭の冴ええる時期でもあります。
それが春になると、硬く閉ざされていた体がゆるみ、開いてきます。活動の時期に向けて体が変化し始めます。その変化は、まず後頭部から始まります。後頭部がゆるみ、開いてくるのです。
頭蓋骨というのは、一つの大きな骨ではなくて、いくつもの骨が組み合わさってできています。そのつながり目を縫合部といいますが、その縫合部がゆるんでひろがってくるのです。
人間の体の変化は、季節の変化を先取りしています。春の最初の変化も、まだ寒い1月中から始まります。このころまだ杉の花粉が飛んでもいないのに、先触れのように、一日、二日、何となく花粉症らしき症状が出たりする人がいます。
これは、頭蓋骨がゆるみ始めていながら、その動きにつっかえがある人です。うまくゆるみ拡がらない影響が、目鼻の粘膜の異常となって現れるのです。 しかし、この時期には、そうひどい症状になることは、あまりありません。
本当に、症状が出るのは、次の変化が起こるときです。春の変化の第二は、肩甲骨が開くことです。冬の間肩甲骨は、背骨の方へ寄って少し上に上がって固まっています。よく 「寒いと肩が縮こまる」なんていいますが、まさにそういう感じです。
それが、スルスルと下にさがってきて、フワッと外に広がってきます。 この変化がうまくいかない人が、いわゆる花粉症になる人です。
肩甲骨が開くときには、連動して頬や鼻の骨(顔面頭蓋)がゆるみます。 それがうまくいかないので、目鼻や口の粘膜などに、いろいろと症状が出るのです。
ただ、この症状は、何とかそのあたりをゆるめたいという、体の要求の現れでもあります。 グジュグジュと涙や鼻水が出るのも、くしゃみが出るのも、そういうことを通して、その部分を正常にしたいという、体の正当な働きでもあるのです。
本来なら、季節の変化に体の変化がついていかないと風邪を引きます。 風邪を引くことを通して、体がうまく次の季節に適応できるように変化します。季節の変わり目の風邪は、体の変化を助けるのです。
ところが、そもそも花粉症を起こすような人は、体が鈍く風邪もうまく引けません。風邪を引くべきときにも引かなかったり、引いても中途半端だったりして上手く経過せず、体が上手に変化できないのです。
そういう風邪を引けない人が、風邪の代わりに花粉症をやるともいえます。ある意味、花粉症は風邪の代償でもあるわけです。
肩甲骨がこわばっていると、頚から上の血行が自然な状態ではなくなります。特に血がおりなくなり、充血 ・ 鬱血傾向になります。ですから、よけいに目鼻の粘膜などに充血や炎症が起こりやすくなります。
後頭部はゆるんで、春の仕様になっているのに、肩甲骨が開いてくれないので、そこにアンバランスが生じてしまうのです。
また、肩甲骨の動きの善し悪しは、呼吸器の働きとも関係します。 肩甲骨が固まってしまうと、肋骨の拡がりも阻害され、呼吸器が十分に働かなくなります。
花粉症の症状は “過敏現象” です。しかし、体の中に過敏な部分が生じている場合、どこかにその過敏を引き起こす “鈍り” があるものです。花粉症を起こす人達は、季節の変化に対応する力を失った、「体の働きの鈍った人」ということができます。
「体が変われば、花粉症など必要ない」
花粉症の症状というのは、ある意味 「何とかして、うまく春の体に変化しよう」 と、体が努力している姿でもあります。ですから、季節にあわせて自然に変化できるように体を整えていけば、花粉症になる必要もなくなってしまいます。
整体操法や活元運動で体が整い、肩甲骨が自然に開いてくると、「花粉症だ」 と騒いでいた人も、いつの間にか症状が消えてしまいます。 「今日は花粉が少ないのかしら」 なんていっているうちに、とうとうぶり返さずに、「花粉症のシーズン」 を終えてしまいます。
そして、次のシーズンからは、全くなくなってしまう人もいますし、年々軽くなって、「今年は、花粉が少ないみたいね」なんていいながら、ついには症状が消えてしまうというパターンもあります。
こうしてみると、『花粉症』 なんていうものが本当にあるのかな、と思ってしまいます。少なくとも悪いのは、杉の花粉でもハウスダストでもなく、自然の働きが鈍った(あるいは野生を失った)、「体」 そのものなのではないかと思えてきます。
つまり、『花粉症』 という 「花粉が起こす病気」 があるのではなく、だだ、「鈍い体」がそこにあるだけなのではないか、ということです。 そして結局は、「体のあり方が自然かどうか」 という問題につきるのではないかと思うのです。
また、『花粉症』 という病名が、なおさら症状を悪化させている面もあると思います。人間は精神的な生き物ですから、「~病」 とか 「~症」 などと病名をつけられると、そこから逃げられなくなる傾向があります。
ただ、「春は、風が強くてほこりが多いから、目鼻がぐずぐずするなあ」 と思っているうちは、ほんの一過性の症状だったものが、「花粉症」という病名がついたとたんに、症状が体に固定化してしまうのです。
これは、「花粉症」 に限らず、いろいろな体の変動に関してもいえることです。人間の体は、内外の環境に対応して、たえず変化しています。 場合によっては、一過性の急性病的状態を示すこともあります。身近な例でいえば、食べ過ぎのための下痢、合わないものを食べたための下痢、冷えを精算するための下痢などです。また、風邪を引くこともそうです。
そういう一過性の体の変動(そして、それは体が必要に応じて調整のために起こしている変動)を、そのある一局面だけでとらえて「病名」をつけてしまうと、本当にそのまま症状が固定化し、診断通りの「病気」 として定着してしまうことは、そう珍しいことではありません。 人間は、それほど精神的な生き物なのです。
ですから、『花粉症』 といわれる症状が起こっても、「うん、今年は体の衣替えがスムーズにいってないな」 程度に考えておくことは、考え方としても健全ですし、必要以上に症状をひどくさせないですみます。
体が自然のリズムを取り戻せば、花粉症になる必然性がなくなってしまいます。そういう体の自然を取り戻すことなしに、「やれ抗アレルギー剤だ、やれ何々だ」、とやってみても、花粉症が治ったらアトピーになったとか、ぜん息になったとか、病気(体のひずみはけ口)を追いかけ回しているだけで、いつまでたってもイタチごっこで終わってしまうのではないでしょうか。
その結果、もしすべての症状を押さえ込んだとしたら、そのひずみはどこに行ったのでしょうか。きれいに精算されたのなら良いのですが、もっと深い異常となって、潜伏してしまうのでは困ってしまいます。
春の変化が起こるときに体を改善しなくても、体が初夏の変化に入ってしまうと、とりあえず花粉症的症状はおさまってしまいます。しかし、体の働きが自然にならない限りは、また来年同じことを繰り返すだけのことです。
「体を自然な状態に整えていくこと」、「体の本来持っている自然の働きを十全に発揮すること」、それが健康に生活する上で、最も基本となる整体の考え方です。
いわゆる、花粉症様の症状を起こす人にとっても、そういう症状を起こす体のあり方を改善していくことが、最も健全な方法であり、またそれが一番の早道になるのではないかと思います。
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