野口整体 白山治療院
東京都文京区向丘2-37-3石橋ビル5階

整体操法整体委員会.3

 
整体操法の制定に関わった人物の中でも、野中豪策という人は、その名の通り豪快でおもしろい人だったようです。 「人間は玉でごわす」 というのが彼の持論で、へそを中心として腹部を玉と見なし、その外側縁を 「健康線」 と呼び身体調整の最重要点としていたといいます。整体操法の側腹操法や、皮膚病に用いる恥骨操法は、彼の技術がもとになっています。
野中氏は恥骨操法を、「皮膚病一切奇妙」 と名付け、「皮膚病の一切が治る急所だ」 といって皮膚病治療に効果を上げていたといいます。また、「ガンも内臓に出来た皮膚病だから」と、恥骨への操法で癌も治ると豪語していたそうです。
野中氏は腹部外縁の操法で有名ですが、整体操法で使う手にある脳溢血の後遺症の調律点なども彼の治療法から採用されています。
 
宮廻清二という人は、尾骨の調整で有名だった人で、尾骨を操法することで胸郭(肋骨)を整えるという技術を持っていました。肺結核などの呼吸器病を、尾骨の操法で治していたそうです。彼の尾骨操法は、肋骨の調整や眠りを深くする操法としてなど、整体操法の中に今も受け継がれています。
 
柴田和通氏の「手足根本療法」は、現在では「足心道」と呼ばれています。整体操法の中の足指 ・足裏の操法には、柴田氏の手足根本療法の影響が見られます。「脊髄反射療法」の梶間良太郎氏は、胸椎9 ・7 ・8のショックによる副腎操法の生みの親です。
 
そのほか、この資料(整体操法読本 巻一 野口晴哉著 )の中では委員の名前に入っていませんが、永松卯造という人の永松活点は、整体操法の中で腹部第5調律点となっています。
腹部第5調律点は痢症活点とも呼びますが、古い資料では永松活点と痢症活点は別のものとして図示されています。どちらも右季肋部ですが、痢症活点は肋骨の縁であるのに対して、永松活点は肋骨のずいぶん奥になっています。永松氏が右の季肋部を押さえると、四指の根本まで肋骨の裏に入ったといわれています。