呼吸 ~ 息することは生きること ~
「息は、生き」
「息をする」、「呼吸をする」 ということは、生きるということの第一歩です。 人間が、この世に誕生してまず最初にすることが、声を出して泣くこと、つまり息をすることです。 人間は、息をするところから人生をスタートするのです。そして、人生のゴールでは、「息をひきとる」 ことで、その生を締めくくります。
食事や水は、数日摂らなくとも生きていられますが、息をしないとなったら数分で死んでしまいます。息をするということは、生きているということに、最も直結した行為です。
「いのち」 の語源は、「息の内」 または、「息の道」 であるともいわれます。そして、「息」は、「勢い」 にも通じ、「意気」、「粋」 にも通じます。
「健康」 ということを考えるときには、呼吸の重要性を忘れるわけにはいきません。「息する」ことは、「生きる」 こと。そして、「長息」 は、「長生き」 につながります。
「調身 ・ 調息 ・ 調心」
健康な体を表す状態は幾つもありますが、「呼吸がゆったりと深く長い」 ということは、体が健康であることを示す重要なポイントです。
心と体が自然な状態であれば、息はゆったりと深くお腹に入ります。そして、呼吸は静かで長くなります。心が乱れていると、呼吸も乱れます。怒ったり、イライラしたり、くよくよしたりしていると、息は浅く短くなります。
また、体が不調であったり、病気を抱えていたりすれば、鳩尾(みぞおち)がつかえて息が深く入らなくなります。やはり、呼吸が浅くなり、短くなります。
健康に生きていくためには、息を深く長く、ゆったりと、いつも静かに保つことが大切です。東洋医学では、「調身 ・ 調息 ・ 調心」 といって、「体と呼吸と心」 を調えることが、健康にとって大切であるとされています。
特に、「調息」、つまり息を調えることは、心と体の調和をはかる上でとても重要な役割をはたしています。
「呼吸と体の調和」
健康な体は、息が深く、ゆったりと静かです。そして、呼吸が体の働きと調和を保っています。たとえば脈とのバランスでいえば、「一息四脈」といって、一回息を吸って吐く間に、脈は四回打ちます。このリズムが乱れていなければ、体にどんな変動があっても、体自身がその変動に適応できている状態です。
一分間に脈を何回打つかを数え、それを同じ一分間の呼吸の回数で割って4が立てば、どんなに症状が激しくても、とりあえず、その段階では命に危険はないといえます。
それが、一息六脈や、一息二脈であったら、警戒が必要です。一息六脈もあるときは、これからまだ変動が続くか、容態が変化することも予想されます。つまり、まだ峠を越していない段階です。一息二脈のときは、脳になにかしらの異常が起こっている状態とみます。
いろいろな体の機能は、この一息四脈の呼吸と脈のバランスと常に調和を保って働いています。
また、体の中の働きだけではなく、体の運動の面でも、呼吸との調和は重要な事柄です。
「息が合う」 とか 「息が合わない」 とかいいますが、二人組、もしくは数人でなにかの作業をおこなうときなど、「息」が合わないと、物事がなかなかうまくいきません。息というのは動作に先立って動くものなので、まずは息が合わないと動作も合いません。つまり、タイミングが合わないのです。
動作のタイミングを合わせるには、まず呼吸を合わせなければならないということです。
これは、一人の人間の中にも言えることです。健康な人、そして身体能力の優れた人は、呼吸と動作が合っています。不健康な人、なにをやっても下手な人は、呼吸と動作が一致せず、ちぐはぐになっているのです。
よく芸事などで、「呼吸をつかんだ」などといいますが、すぐれた芸、技術、立ち居振る舞いを身につけている人は、皆例外なく呼吸と動作が調和しています。
「呼吸という全身運動」
健康な体には 「快」 があります。すなわち、何をしていても心地よく、快感があるものです。これは、実は息がゆったりと深い、ということと関係があるのです。
一般に、浅い呼吸の代表は 「胸式呼吸」、深い呼吸の代表は「腹式呼吸」といいます。これには多少の語弊があるのですが、呼吸が深い人は腹式呼吸ができているということは本当です。(本当は、胸部にたっぷり息が入るのも大事です)
さて、しかし、本当に健康な体になると、息が入るのは腹部だけではありません。もちろん胸にも入りますが、腰にも、お尻にも、そして、肩や肘や膝、手や足にも入ってくるのです。
人間も哺乳類ですから、息を吸って空気が入るのは肺だけです。呼気で吸った空気は肺には入り、肺で血中に酸素を取り込み、いらない血中の二酸化炭素を呼気の乗せて吐き出します。
では、肺(胸)にしか空気が入らないとしたら、腹式呼吸というのは、どういう呼吸なのでしょう?
簡単に説明すると、肺をふくらませて空気を取り込むのには二通りの方法があります。一つは、肋骨の間、そして胸や背中にある筋肉によって、胸の外周を拡げる方法です。これは、いわゆる胸式呼吸です。肋骨は引き上がり、胸郭が拡がり、肺に空気が入ります。
そしてもう一つの方式は、肺の下にあり、体の中を横に隔てている「横隔膜」という筋肉でできた膜を下に引き下げることです。横隔膜は、胸腔と腹腔を隔てている筋肉の膜です。胸郭の底とも言える横隔膜が下にさがると、肺の容積は縦に大きく拡がります。
これが、いわゆる腹式呼吸です。横隔膜の下には、胃・肝臓・腸などの腹空内臓器があります。それらが横隔膜に押し下げられて腹圧が高まり、お腹がググッと充実感を持ってせり出してくるのです。空気は胸部にある肺に入ることは同じですが、大きく腹部が動くことから複式という呼び方になったのかもしれません。腹式呼吸は、胸式呼吸に比べてたくさんの空気を取り込むことができます。
くわしいメカニズムはよいとして、呼吸、つまり息することというのは、肺に空気が入るのだから胸でするものだ、というほど単純なものではないということです。
胸だけでなく裏側の背中も、肋骨の側面である脇も、横隔膜も、腹周りの筋肉も、そして、腹と同調して腰や骨盤底筋なども一緒に働いています。背骨全体も、呼吸にそって動きます。胃腸をはじめ、内臓もその位置を大きく変えます。呼吸のメカニズムというのは、ダイナミックで精妙な全身運動なのです。
「全身の緊張と弛緩」
呼吸は全身運動といいましたが、これは言葉のあやではなく、本当に全身が呼吸に関わって運動しています。人間の体は、息を吸うと緊張します。息を吐くと弛緩します。胸やお腹だけでなく、手や足の筋肉も、顔の筋肉も、呼吸に合わせて、緊張弛緩をくり返しているのです。
ためしに、仰向けになっている人の足を持って、20㎝ほど持ち上げてみましょう。その状態で相手の呼吸を見てみます。相手が息を吸っているときは足が軽く感じ、吐いているときは重く感じると思います。
これは、息を吸っているときは体が緊張するので、ほんのわずかですが自分で自分の足を支えている状態になるのです。その分、足は軽くなります。そして、吐いているときは筋肉の力が抜けるので、足の重みが持ち手に全てかかり、重く感じるのです。
慣れてくると、体のどこをさわっていても、相手が今吸っているか吐いているかが、わかるようになります。
健康な人は、呼吸に合わせての、全身の緊張弛緩の差が大きく、はっきりしています。不健康な人ほど、緊張と弛緩の幅が狭くなります。つまり、弛みも引き締まりもしない、強張ったままの(もしくは引き締まる力のない、たるんだ)体になっているということです。
「息が通れば、体は爽快」
呼吸による、全身の緊張弛緩が健全におこなわれていると体が軽く感じられます。「からだ」 の語源は、「空・だ」 、または 「殻・だ」であるともいいます。亡くなった人の体を、亡骸(なきがら)などともいいますが、魂に対して、体は入れ物であり、本来は空(から)なのかも知れません。
健康な体は、いつも爽やかな風が、通り抜けているような爽快感があります。そして、呼吸による緊張弛緩の波は、体のすみずみにまで、息が入る感覚として実感できます。大きく息を吸うと、胸やお腹がフワーッと気持ちよく拡がるのと同様に、腕や手指、足先にまで息が入ってくる爽快感があります。
体が健康になると、呼吸をすることそれ自体に快感があります。息をしていることに注意を向けるだけで、気持ちがよく、そこはかとなく愉しい気分になってきます。
整体で体が整うと、生きていることが快適で愉しくなります。それは、どこかに遊びに行くから愉しいとか、お金がもうかって愉しいとか、異性にモテて愉しいとか、そういう愉しさとは次元の違う愉しさです。
健康であると、息をすることも、体を動かすことも、食べることも、そして排便・排尿することにも、「快」があります。健康であることは、とっても「爽快」であり、「愉快」です。本来体には、「快感」が満ちているのです。
「呼吸と姿勢」
古来から、インド・中国をはじめ、東洋では健康法・修行法として、さまざまな呼吸法が考えられてきました。日本にも、古神道に伝わる長世息吹の法など、さまざまな呼吸法が伝わっています。
そして日本では、大正・昭和初期には、○○式正座法とか○○式調息法などという、いろいろな健康呼吸法がブームとなり、多くの人が健康を求めて、呼吸法に取り組んだようです。この頃はやった呼吸法は、腹式呼吸をおこなうもので、いわゆる丹田を鍛えるスタイルの方法が主流でした。
しかし、残念ながら、当時有名だった呼吸法の創始者が、呼吸法のやりすぎによると思われる脳溢血で亡くなると、急速にブームも去ってしまいました。
呼吸法界のカリスマだった、某氏が亡くなったのは、やはり呼吸法にその原因があったようです。 その方の考案した呼吸法は、正座をし背筋を伸ばして、息を吸ったときにお腹を引っ込めて、吐くときにふくらますという、いわゆる逆腹式呼吸だったのですが、鳩尾(みぞおち)に力が入ってしまうという欠点がありました。
いくら背筋を伸ばし姿勢を正しても、鳩尾に力が入ってしまうような格好で呼吸法をおこなうのは、体にとって害があります。 いえ、実をいえば、姿勢を正したからこそよくなかったのです。
一般的に正しい姿勢といわれる格好をしても、その姿勢で深呼吸して鳩尾が固くなるようだったら、その姿勢はその人の体にとって無理な姿勢です。その無理な姿勢で、無理矢理息を深く吸おうとすると、体に害を及ぼします。
ためしに軽く背筋を伸ばし、体を真っ直ぐにして、深く深呼吸をしてみましょう。それで、快適に呼吸ができる人、鳩尾がこわばらず下腹部にゆったりと息が入る人は、体に歪みのない健康な人です。
なんとなく息が吸いづらいようだったら、体を弛めて、いろいろと姿勢を変えてやってみましょう。背中を丸めた方が、深呼吸しやすい人や、体を左右どちらかに傾けた方が、息をしやすい人もいると思います。またある人は、少し体を捻った方が、息が吸いやすいかもしれません。
体を歪めた方が、深く息ができるという人は、体に歪みがある人です。ある意味では、その歪んだ姿勢が、その人にとって自然な姿勢になっているともいえます。
鳩尾が固くなるということは、体を壊す方向に向かうことです。ですから、体の方が、それを避けようとして、自然と鳩尾が緩む体の角度を見つけて、息が入りやすいように姿勢を無意識に調整するのです。
それを、無理矢理体を真っ直ぐにしても、その人の体にとっては、至極不自然な状態になってしまいます。その不自然な状態で呼吸法をするのは、健康法どころか、体を壊す行為になってしまいます。
少々手前味噌にはなりますが、体を歪めないと息が深く吸えない人は、活元運動や整体体操で、体の歪みそのものを正してから呼吸法をするべきです。 もちろん整体操法で整えてもいいわけです。
しかし、もともと体を真っ直ぐしても息が深く吸える人、そして活元運動や整体操法で体を整えて歪みがなくなった人は、普通にしていても息が深くお腹に入ってきます。 ですから、健康のために、特別がんばって腹式呼吸をする必要もないのです。
「行気 ~内観的呼吸法~」
意識して腹式呼吸をおこなわなければいけない状態であれば、心か体に不自然があるということです。健康な心身であれば、息は自然に深く入ってきます。
体に歪みがなければ、呼吸はゆったりと深く、快適です。しかし、健康な体にも、どんどん上があります。健康な体を獲得しても、より快適な、より爽快な体というものが、どんどん先に広がっています。ですから、健康を追求する楽しみは、なかなか尽きることがないのです。
ここでは、呼吸を一つのツールとして、さらに上の体の快適さを求めてみましょう。
誰にでもおすすめしたい呼吸法は、行気法(ぎょうきほう)です。これは、自分の体に息を通すことで、「気」を通していく方法です。 自分でおこなう愉気ともいえます。
背骨でもお腹でも、体中どこでも、息がつかえているところは、「気」もつかえています。たとえば、背骨でも、呼吸にそって引き締まりと緩み、緊張 ・ 弛緩がおこなわれているところは、押さえても弾力があり、「気」 が通っています。
逆に、呼吸に合わせての、緊張・弛緩が、うまくおこなわれないところ、つまり、強張って息がつかえているところは、「気」もつかえています。そういうところは、椎骨の可動性も悪く、押しても固く、弾力がありません。
そういう 「気」がつかえたところは、いろいろな体の不調の原因になります。そこで、その部分に息を通すようにすると、「気」が通るようになり、弾力も回復してきます。
体のどこでも、その部分で息をするような気持ちで呼吸します。腕でも、足でも、背中でも、痛みのあるところや強張っているところで息を吸ったり吐いたりするつもりで呼吸します。
実際に、その部分に空気が入るわけではありませんが、慣れてくると 「気」が通り、息が出入りしているように感じることができます。行気とは、自分の体に意識を向けておこなう、内観的呼吸法です。
※ 頭に長く行気すると、気が上がりすぎて、のぼせたりすることがあります。 頭部への行気は、注意しておこなって下さい。 頭部へ行気するときは、涼やかな空気が出入りしているのをイメージするとよいでしょう。また、もし上気して具合が悪くなったりしたときは、足裏に行気すると、上がってしまった気が降りてきます。 (下記参照)
【脊髄行気法】
誰にでもおすすめしたいのが、背骨に息を通すことです。背骨に息を通すことは、健康に対してすぐれた効果を発揮します。はじめは、座るか仰臥して、瞑目しておこなうようにします。慣れてきたら、目をあいていても、動いていても、いつでもできるようになります。
○ 目を閉じて、後頭部から背骨にそって、腰までゆったりと息を吸います。背骨の中を通っている中心管に息を通すようなつもりでおこないます。
○ 吐くときは、なにも意識せずに、ゆっくりと長く吐きます。長くといっても、 無理に長くしようとせずに、自然な呼吸の範囲でかまいません。
○ これをくり返して、1分程度。あまり長くやりすぎると、かえって背中がこってきたり、痛くなったりすることがあります。
○ 活元運動の後など、背骨に数回息を通しておくと、なお効果的です。
背骨に息を通すことは、精神を統一させ、やる気を呼び起こし、疲れを払拭してくれます。 どうぞ、ためしてみて下さい。
【合掌行気法】
これは、手の感覚を敏感にする方法です。 私達のような、手で体を調整する仕事をしている人には、とても大切な訓練法です。 整体法では、必須になっています。
その他、ピアニストでも、子供を育てるお母さんでも、柔らかく温かい手をつくるために、とっても役に立つ方法です。
○ 胸の前、または顔の前で両手の平を近づけます。 合掌するような形ですが、手と手の間は、少し隙間を開けておきます。 手の高さは、高くても、指先が眉間の高さを越えないようにします。
○ 眼を閉じて、指先から息を吸い込み、手のひらから吐くような気持ちで、ゆったりと呼吸します。 指先から吸って、指先から吐いてもかまいません。
○ だんだん手と手が引き寄せられて、くっついてしまったら、そのままでおこないます。
○ 時間はどのくらいやってもかまいませんが、集中力がきれて、漫然とおこなっても効果がありません。 集中力が続く範囲でおこないます。
○ 最後に、大きくお腹に息を吸い込んで、2、3秒止めて、ゆっくり吐きながら目を開けて終わります。
【足裏の行気】
足が冷えるとき、頭が疲れたとき、頭が冴えてしまって眠れないとき、上気してのぼせているときなどは、足裏で行気をすることが有効です。司馬遼太郎の「竜馬がゆく」の中に、眠れないという “おりょう” に、“竜馬” が、「眠れないときには、足の裏で息をするのだ」と話すくだりがありますが、これなどまさに足裏の行気法です。
○ 足の裏で呼吸するつもりで、普段よりゆっくりと呼吸します。
○ 慣れてきたら、足の裏から膝まで、股関節までと息を吸い込み、足裏から吐くようにしてもかまいません。 最終的には、お尻、下腹部まで息を吸えるように練習するとよいでしょう。
ただし、上気し、のぼせているときなどは、足の裏だけを意識しておこなった方が効果があります。
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